学問・資格

July 01, 2006

ココだけの話

「高校で習う古文」というだけで拒否反応を示す人がいるかもしれません。
 
 
が、私はふと思いました。
 
 
それって、やたら難解に理解しようとしているからじゃないか?
 
 
と。
 
 
古文で使われる教材「源氏物語」、「枕草子」、「徒然草」等は当時の
日本の文化、風習(慣習)等が色濃く反映されており、当時の日本が
どんな状態だったかを古文を通じて学んだり、脈々と受け継がれてた
日本語というものを辿ることができるものだと私は考えています。

しかし、「あり、をり、はべり、いまそかり」とかなんとかごちゃごちゃと
細かいところから見ていく授業が多いから難解で親しみ辛いものへと
なってしまっているのではないか、と。

確かに正しく読む為には古文で使われる当時の日本語を正しく理解
しておく必要がありますが、そればっかりに終始して、本当に目指す
「古文の理解」が疎かになっているのでは……。
 
 
 
そこで、今回私は「枕草子」を例にとって、曲解を恐れず敢えて一人
提言してみます。
 
 
 
枕草子は清少納言が書いたエッセイで現代に置き換えていうなら
「清少納言のココだけの話」というblogみたいなものだっっ!!

※眞鍋かをりさんの「眞鍋かをりのココだけの話」のタイトルを
まんまパクッてます。
眞鍋さんのざっくばらんな感じな文章ってひょっとしたら枕草子に
あうんじゃないかな? という勝手な思い込みで(笑)
眞鍋さんが枕草子を口語訳したら面白そうじゃないですか?(笑)
 
 
 
ということで、枕草子の有名な一節「春はあけぼの」を私なりに
超(テキトー)訳してみようと思います。

たぶんこんな感じなんじゃないかな~という雰囲気だけで訳して
いますので、確実にオカシイ文章になると思います。

ただ、こんなんでもなんでもきっかけとなって古文って面白いかも
と思って貰えたらなによりです。


現代口語風に翻訳したものは「桃尻語訳枕草子」という
本がありますので是非コチラをご参照下さい。
こちらは文法に忠実ながら見事に現代口語風に訳されています。
私はこの本に出会って(あと徒然草なんかも口語訳されてます)、
古文って面白い! って思うようになりました。
……まぁ、それと成績は別問題でしたけど。


では、いってみましょう~~~~~~~~~~~。


題して、

もしも清少納言の枕草子が現代のblog日記で書かれていたら?

───【適当語訳:枕草子(春はあけぼの)】────────


春っつったらさー、やっぱ太陽が出る前の微妙な時間がいいね。
こう、じわぁ~~~~ぼやぁ~~~って山の後ろ辺りから明るく
なってってさ、ムラサキっぽい細い雲が見えたりなんかした日にゃ
これぞジャパンって感じで堪んないね、オイラ。


ニッポンの夏ってったら夜でしょ。
月なんか出てたらもぉ~~~カンペキでしょ。
あ、でも月が無くて真っ暗な夜でもさ、蛍なんかがぶわっってな
感じで飛んでたら「いかにも」って感じでオイラ好きだな~。
一匹とか二匹とかでチョロッと飛んでてもまたそれはそれでいい
感じだよね。
雨が降ったりするとなんか渋くてそれはそれでアリだね。


秋といえば夕暮れ、夕暮れと言えば秋でしょ。
ヤベェ!もうタッチする!ってくらい夕日が山に近付いた頃にさ、
カラスが超ダッシュしながら巣に帰ろうとしているのをみたりした
日にゃおもわず「ふっ……」ってなったりしちゃうのよ。
それがカラスじゃなくて雁だったりした日にゃよ?キチンとお行儀
よく一列になって遠くの方に飛んでってるのを見た日にゃよ?また
格別って感じだね~。
夕日が沈みきってからさ、風の吹く音とか虫の鳴き声なんかが聞こ
えてきたらグッときちゃって何も言えないよ!


冬は何がいいかってったら早朝だね~。
雪が降った時なんかはもうそれだけでオッケーだし、霜がぶわっと
降りててもそうでなくても超~~~~~~寒い朝なんかにさ、皆が
わたわたしながら火起したり炭持ってあっちこっちいってるのとか
観ると「冬だねぇ(しみじみ)」って思う。
ただね~。
昼頃になって暖かくなってくるとさ、皆もう火鉢の周りにいなくて
誰も炭足したりしないからさ、炭が燃え尽きて白い灰になってるの
観るとな~んかガッカリしちゃうんだよね~。
 
 
──────────────────────────
 
 
わははは……書いてみて思いました。( ̄▽ ̄)
そりゃ成績に比例しないわけだよ、と。orz

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November 07, 2005

大学難民

私の在学した大学は新設大学だったので、私達の代でもまだ
3期生――4学年揃っていない状態でした。

伝統も通例もなにもない、誰かが何かをしてくれるのを待って
いたらいつまでも何も起こらない――そんな環境に飛び込んだ
私たちは「この大学の前例は、僕達が作る!」という強い意志で
毎日手探りしながら生活してきました。

そしてなにより。

この大学に行かなければ、「映画音楽を作ってみないか?」と
声を掛けてきてくれた友人にも、「あ、俺キーボード弾けるよ」
と言ってくれた友人にも、「俺はバラード聞かないんだけどさ、
お前の曲はすげぇイイと思うぜ」って言ってくれたO2-kenにも
絶対に出会えませんでした。

だから、失敗したことも多いけれど、私たちは……少なくとも、
私はその4年間と出会った仲間を誇りに思い信頼しています。

そんな母校の文化祭に行って来ました。
 
旧知の友人達と出会ったり、恩師と出会ったり、後輩達の頑
張る姿を目の当たりにしたりして一通り楽しんで来ました。
夕方からcubeのミーティングがあるということでアルコールを
摂取出来なかったり遅くまで残れなかったのですが、十分に
文化祭を堪能出来たのでとてもよい気分転換になりました。
 
 
 

 
 

 

 
事前に知らされていた話ですが、私達が所属していた学部が
近々廃部になり、全く異なる学部にキャンパスの全てを明け
渡すことが決まっていたので、事実上今年の文化祭が最後の
文化祭だと感じていました。

どの大学でも少子化の影響で魅力ある大学作りが急務である
という時代背景を鑑みれば、より大胆でフレキシブルな舵取りを
迫られる苦しさが新設大学にはあるのかもしれません。

ただ、その舵取りの代償として私達卒業生が所属していた学部
が切り捨てられ、私達の「母校」と呼べる場所は無くなってしまう
……僕達が大学難民となってしまう様な気がして素直に受入れ
難いものがあります。

それでも一度動き出したものは戻りません。

せめて、新しい学部が母校の新たな魅力の一つとして成立する
ことを願わずにはいられません。

いつの日か、懐かしむことが出来ますように。

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October 06, 2004

音感

といっても、絶対音感とか相対音感とかの音感ではありません。
音を聴くことによって感じること、ということを意味したいと思う「音感」です。

なんのことやら? ですよね。

例えば、アブラゼミの鳴き声を聴くと「暑い」って思ったり感じたりしませんか?
そこに、風鈴の音が微かに聞こえてきたら「涼」を感じませんか?

人は、特に日本人は経験的に「アブラゼミ」の鳴き声は夏の蒸し暑い日中を
連想させ、またその鳴き声の騒々しさからより一層暑苦しさを感じ、反対に
「風鈴」の澄んだ音は微かな風に揺れることによって風鈴が鳴るということ、
「風」というものを感じさせることによって涼を連想させる。

さらに、高く澄んだ音に「涼」、「冷」を感じ、低い音に「暖」、「温」を感じる…
ような気がします。(急に弱気・笑)

勿論、全てがそうではないのですが、何かしらの法則がありそうです。

音に対する感じ方、これって中々面白いことだと思いませんか?

きっと、探せばそういう研究は既に尽くされているのかも知れませんが、
私なりに、そいういうテーマって…ちょっと考えてみたい事柄です。

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September 23, 2004

哲学する頭

私が学生の頃、哲学の教授から

哲学者デカルトが残した有名な言葉

「吾、思う。故に吾在り」(Cogito, Ergo Sum)

という言葉は、実は

「吾、疑う。故に、吾あり」(Cogito, Dubito Sum)

というのが正しい、と教わりました。

「全ての存在を否定することが仮に出来たとしても、存在を否定する
 自分自身という存在は否定できない、だから自己は存在するのだ」

と、なんだか大雑把にいうとそんな説明を受けました。
(私の学問への姿勢が疑われる?・笑)


私はこれを聞いたとき、この人はなんてすごいことを考えついたんだ、と
感動しました。
自己の存在の証明、それをこんな短い言葉に集約してみせるなんて。

哲学は過去の哲学の否定から始まる、みたいなことを聴いたことがあります。
だから、やたらとっつき難いイメージがあるかもしれません。

でも。

考える(思惟する)ということは誰しもが毎日、当たり前に行っている行為です。
昨日正しいと思ったことがやっぱり今日考えたら違った、なんてことは日常的に
よくあることじゃないですか。

と、いうことはつまり…デカルトが「吾思う…」と言った頃から、いえ、
もっともっと昔から今現在まで、そしてこれから先の未来もずっと…
人間は「吾思う」を繰り返し、「吾在り」を証明し続けるのではないか。

そう考えたら、毎日が哲学な気がしてきませんか?

答えの無い哲学に、あなただけの真実を。

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