哲学

December 10, 2005

自らを律すること

ここ最近、ニュースでバンド活動をしている人たちの、あまりよくない
事件の話を目にすることが続きました。

これは私個人の見解ですが。

形はどうあれ表現するということを選んだ人間は、自らを律すること、
つまり自律が他の人よりも出来ないといけないと考えています。

もちろん、私自身普段から自戒しなければならないことが多いので
偉そうなことはいえませんが、そうあるべきだという信念があります。

誤解しないで頂きたいのは、決して堅苦しく、頑なに自律しろ、とか
いうのではありません。
人間的な魅力の意味でのルーズさや曖昧さ、野性味とかはとても
大事なことです。
ただ、その中にも最低限譲ってはならないものがあるだろう、という
考えです。

表現するということは、それを見てくれる人がいて初めて成立する
行為です。

cubeの音楽も、ライブも、そしてこの日記も、全ては聴いてくれる人、
観に来てくれる人、そして読んでくれる人が居て初めて成立します。

そして。

表現者の行動に、見てくれた人、聴いてくれた人は少なからず影響
され、その人たちなりの解釈でその人の中に息づいて行きます。

「個人主義」を声高に謳う人も居ますが、私は、人は社会という中で
生きる生き物だと考えます。
誰かの行為が、他の誰かへの結果を導き出している、と。
(Human System、とでも言いましょうか……)

その一つの例がアーティストとオーディエンスの関係だと思うのです。

cubeで例えるなら。

私達の音楽を聴き、映像を見て、いいなと思ってくれる皆さんがいます。
その皆さんに、私たちはまた新しい作品で応えていこうと頑張ります。
お互いがお互いを必要として、惹かれあうことで少しずつ良いものへと
成長していく、切磋琢磨しあうということ。

そういう関係を継続・拡張していけること、それが理想的な関係だと私は
考えます。

そういう理想的な関係を、表現する側が放棄したり破壊してしまうことは
何よりも酷いことだと思います。
そしてそれは応援してくれた皆さんの今迄の価値観を壊してしまうことに
なりかねないのです。

人は普段、常に喜びと悲しみ、期待と絶望といった相反する関係の中で
生きています。
それはお互いで行うやりとりの中で日々繰り返されていくことですが、
私達表現することを目指した者はその繰り返しの中の立ち位置を一歩
他の人たちとずらした立ち方をしているのです。

だからこそこうして皆さんの前に居られるわけですし、であればこそ、
私達は自らの存在する意味を理解して振舞わねばならないと考える
のです。

そう、だからこそ、自律や自覚を持たねばならない表現する側の者が
あまりに逸脱した行為をしてしまったというニュースを見て、私の胸は
とても痛むのです。

そして改めて自問しています。

僕は、皆さんに対して恥ずかしくない程度に自律しているだろうか、と。

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